きずくどっといんふぉについて

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今私たちは。沢山の「物」に囲まれて生活しています。

しかし、沢山の物に囲まれながらなんとなく「このままでいいのかな?」だとか「自分は何をしているんだろう?」なんて感じることが多いかもしれません。そこには、生きていくこと自体に対する疑問や不安がいっぱいかも知れません。そんな時にこのサイトを使ってほしいのです。

とはいえ、私たちは先に書いた疑問に対しては無力であることも知っています。なぜなら、そんな疑問の答えは、人それぞれ疑問の数と同じだけ存在しています。私たちはそれぞれがそれぞれのやり方で、人生を生きていかなければなりません。

だけど、ちょっとだけ、周りの人とつながることで、小さな幸せを手に入れる事もあるのです。だから私たちはそのお手伝いをしたいと思います。無力でありながらも、あきらめることはしません

以下にウェブの責任者である私の、このウェブに対する基本的なスタンスをいくつか書いておきます。これは私自身の個人的な考え方であり、このウェブにかかわるすべての人に強制するものでもありません。しかし、その一部にでも共感を持って接していただければ幸いです。

1.人は人を変えることはできない。しかし、人は人によって変わる。

私たちは先にも書きましたが、基本的に他人に対して無力です。「誰かに何かをしてあげる」という意識は、「してあげる」という時点ですでに傲慢さを含んでいます。往々にして、誰かを救いたいと思って行動したことが無駄な徒労に終わる場合も少なくありません。

しかし、それと共に私たちは一人だけでで生きている訳ではありません。周りの人や、地球を含めた色んな環境によって生かされています。だから、変わるための主人公は自分自身だとしても、それは周りの人や、周りの環境などに影響され、変化していくのです。

そして、何かと関わる事で人は自分を再確認でき、折り重なった繊維のようにつながった存在であることを意識できます。その時、私たちは存在の奇跡と、心の共振作用から喜びを感じるのだと思います。

だから、私たちは、自分の為、そしてまわりの為何かをなそうとするのです。

2.自分の未来は自分で築くもの

以前、チャネリングを受けた時「あなたは今後お金で困ることはありません。次から次に仕事が入ってきます」といわれ、油断して請求書を出すのを忘れてしまい ました。すると当然ながらその月末はお金に困ってしまいました。つまり、その時の可能性としての未来ががポジティブであっても、その可能性を生かすのはあなた自身なのです。

少し話を変えますが、それそれが持っている「現実」とは何でしょう?実は、「これが現実だ」と思っていることは、皆さんが思っている以上に人そぞれぞれで違うのかもしれません。たとえば、梅干が大好きな人と大嫌いな人がいます。(私は梅干が苦手です)梅干ひとつとっても「こんなもの地上からなくなってしまえばいい!」と思っている人もいれば、「これが朝ごはんの定番だ!」と思っている人もいるでしょう。

このように、人それぞれが色んな現実を抱えています。そして「それぞれの現実」が影響しあい、全体の「現実」を形作っていくのです。

たとえば、占いを受けたとします。占いでわかるのは今この時のあなたの可能性です。今のあなたなら「これこれこうゆう方向に進みますよ」という試算です。しかし、そこに先に書いた「それぞれの現実」というものが必ず関わってきます。だから、今この時点で、ある到達点が見えていてもそれら「それぞれの現実」によって、影響を受けます。だからやはり、自分の事だけ考えて生きていても幸せにはなれません。

また、自分に厳しく他人に優しく頑張ったとしても、環境破壊で地球が壊れてしまっても幸せになれることはありません。

このように、色んなレベルで意識を持つことが必要です。

何?「そんなことできないよ!」そんな声も聞こえてきますが、裏を返すとこれらのことは、「すべての可能性が決定されているのではない」ということにつながります。つまり、私たちには自分の未来を自分で築いていける機会を与えられているということです。

3.「奇跡」を判断の基準にしていはいけない。

私たちは科学や常識で理解できない事がおきるとそれを「奇跡」と呼びます。奇跡は色んな意識を超えて、みなさんの心を大きく動かします。それは自分が理解できないことに対する、敬意と畏怖(恐れ)を持っています。それ自体は悪いことではありません。

しかし、もっとよく周りを見回して見ましょう。実は奇跡は、私たちの周りに満ち溢れています

そこにある草花、生物、地球、そのどれもが奇跡的に存在しています。もし、すべてが確率論的に存在するのなら、それでは説明のつかない出来事が沢山あなたの周りでも起きているはずです。人との出会い、あり方そのどれもが奇跡だといえるのです。

世の中には、科学では説明のできない事が沢山存在しています。というより科学が説明できるのはこの世の中の一部のことだけだと思います。

人間の存在の意味や、それこそ素粒子の世界で起こっている様々な出来事をまだ科学は完全に説明できていません。元々、科学、哲学、宗教などは分離したものではなかったはずです。しかし、現代の考え方では、それらは相反するものとして捉えられているように思います。

さて、たとえばスプーン曲げができる人がいたとします。(私の周りにも2人ほどいます)それは、科学では説明のできない「奇跡」であると言ってもいいでしょう。では、その奇跡を元にその人は「素晴らしい人だ」と言えるでしょうか?また、「その人は奇跡によって幸せになれる」といえるでしょうか?答えは否ですね。

よって、「未来を見通せるから素晴らしい」「病気を治せるから偉い」という一面的な価値で物事を判断するのは間違いだと思うのです。

4.見えないものについて

このウェブの中では見えない世界についても積極的に討論していきたいと思っていますが、私自身の前提としては「目に見えない世界は理由があって見えない」のではないかと思っています。

例えば予知であるとかテレパシーであるとか、それらを持っていない私たちは、逆説的に「それらから自由」であるとも言えるはずです。

なぜかというと、もし、未来のことを知ってしまえば、問題から逃げることもできます。しかし、逃げてしまえば、その人の成長を遅らせる結果となる事が多いのです。分からないから努力したり、傷ついたり、反省したり、苦しんだり、悲しんだりすることが可能なのです。その一見するとネガティブな出来事が実はその人を成長させ、豊かな人生を送らせる力となることを知る必要があると思います。

実は、私たちは関わりの中で、傷つく事でしか成長できないのではないかと思います。たとえば、無人島で一人で暮らしたとします。その中で、肉体的には成長できますが、精神的な成長には限界が出てくるのではないでしょうか?

それはまた、霊性と現実とのバランス問題にも発展していきます。つまり「見えない世界」と「見える世界」とのバランスです。現実を生きながら霊性にも意識を向けなければ幸せにはなれません。自分の霊性を意識した上で、現実に何を成すべきかを判断し実行すれば、それらはバランスが生まれ何事もうまく運びますが、そのどちらだけを重要視しすぎるとバランスを欠いてしまいます。

つまり目に見える現実世界の利益(現世利益と呼べばいいのかな)を重要視しすぎてお金の亡者になっても幸せにはなれませんし、だからといって、霊性というよりオカルティックな霊的世界に支配されていては、現実の問題を解決できなくなってしまいます。(難しいですね)

 

きずくどっといんふぉ 編集責任者 浅川浩二

 

最終更新 ( 2009年 11月 18日(水曜日) 03:03 )